英語が話せない僕が3ヶ月ヨーロッパでホームレスした話【マルタ編】

こんにちは、黒川です。

僕はヨーロッパで3ヶ月間ホームレスをしていました。

マルタから始まり、オランダ・イタリア・ハンガリー・ベルギー・フランス・ドイツに行きました。

それぞれの思い出を振り返りたいと思います。

今回はマルタについて書きました。

マルタでは主に5つの出来事がありました。

・ボブサップ事件
・社長に同行して豪遊
・マルタでキャッチ
・友人がマルタに遊びに来る
・ナギョンと出会いオランダに行く

経緯

そもそも「なぜ僕がマルタに来たのか?」を簡単に説明します。

2019年の春、「海外の生き方を学んで自分の人生の選択肢を増やしたい」と思い、
僕は留学をする為に大学を一年間休学しました。
新しい場所に行き、新しい文化や考え方の人と触れ価値観の幅を広げようと思いました。

そして運よく留学エージェントを介してマルタで留学ができることになりました。
(マルタは地中海のど真ん中にある国で、国土面積は東京23区の約半分です)
宿泊するホテル、留学するための学校、朝晩の食事が用意されるという、
まさに完璧なプランでした。

ですがマルタへのフライト数日前、
僕はエージェントからマルタ留学取り消しの連絡が来ました。

大学を一年間休学し、頭の中はマルタへ行く気満々でした。
しかしお金がないから行かないのは僕の中で納得ができず、
お金が全くない状態でしたがとりあえずマルタに行きました。

3か月ヨーロッパでホームレス生活が始まる

マルタに着きました、

というか来ちゃいました。

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もちろんマルタに着いたもののあてはなく、

この時は自分がこれからどうなるのかを全く想像できず、「俺VS世界」というこの世界の主人公になった気分でした。

今振り返ると自分でも「よくマルタに行ったな」と思います。

それには以前に一人で行ったマチュピチュでの体験が関係しています。

死ぬまでに一度は訪れたい!マチュピチュの魅力と歩き方【俺の海外記】

一人でマチュピチュに行った体験を通じて「俺ってなんでもできる」という価値観を得ていました。

今回もなんとかなるだろうと思い、マルタに来ました。

とりあえず空港の無料Wi-Fiを繋げ、現地で今からでも留学できそうな学校をググって連絡しましたが、
英語のスキルやビザが必要だと言われてどこにも相手にしてもらえませんでした。

でも英語は学びたかったので、
一日中空港で英語を勉強していました。
そして夜になったらそのまま空港泊。

無料で繋がるWi-Fiに、美味しいハンバーガーを食べられる空港は勉強する環境として最適でした。
そのような生活をマルタに着いてから1週間程繰り返しました。

そしてついに、事件が起きます。

ボブ・サップ事件

いつものように空港のフードコートのソファで朝まで寝ていると、

ボブサップのような大男にたたき起こされて、
『パスポート見せろ!YOUフライトあるんか?なんでいつもここで寝てる!!』と詰められました。

一瞬何のことだか全く分からず、ボブサップがSECURITYと書かれた服を着ていたので警備員だと気づき、
パニックになりながらも僕は全力のsorryでその場をしのぎました。

というのもマルタはホームレスが法律で禁止されていて、
僕がしていた行為は浮浪者と変わらない生活でした。
もう全力で謝って事が大きくなる前にその場を去るしかありませんでした。
深く反省して、
もう空港に泊まるのは迷惑なのでとりあえず街へ向かうことにしました。

街へ向かうバスに乗りながら、「マルタでお金を稼いでちゃんとホテルに泊まる」
と決意しました。

とにかくお金を稼ぎたかったので、街のレストランに行き、
働かせてもらえる場所を探しました。

街のレストランを順番にあたって、
ここで働かせて下さい!と回りました。
「I wanna work here. Im Japanese.」
とりあえず日本人と言えば信用してもらえて働けるだろう、
そう思っていました。

ですがそもそも「就労ビザが必要」だと門前払いでした。

社長に同行して豪遊

その頃、僕は大阪で知り合っていた社長がマルタに来るのをFacebookで確認して、社長に連絡をしました。

すると、「明日の朝9時にヒルトンホテルで会いましょう」と返事をいただき早速翌朝から合流しました。

さらにマルタで年に一度開催される「AI&ブロックチェーンサミット」に参加しました。

サミットの内容は世界中のAI・ブロックチェーン・IoTの分野に精通した専門家・起業家・投資家が集まり、今後のAIによって発展する未来を討論する場として活気に満ちていました。

(当サミットの設立者イーマン氏)

サミットはヒルトンホテルで丸2日間続きました。

受付ではいくつか質問をされましたが、英語が聞き取れない僕は「オールYES」で受付を突破しました。

受付を突破すると、世界各国のAIなどに精通した著名人が独特のオーラを醸し出しながら交流しています。

僕は「せっかく来たし」と思い、名刺交換に励むことにしました。

「ホームレスの僕をマルタのオフィスで雇ってくれるかも」と期待も込めながら、
約20枚の名刺とwechatを集めました。

サミットの様子です。

サミットにはソフィアも参加していて、

AIが人類を越えるシンギュラリティについて熱く討論していました。

2045年にターミネーターのようにロボットが人類を滅ぼすということが現実に起こるかもしれません。

 会場には美女も多かったです。

あっという間に二日間のサミットは終了して、
それから3日間ほど社長と行動を共にしました。

レストランの食事、立派なホテル、観光もして、そこで初めてマルタの魅力を知りました。

色んな観光地を巡り、美味しいご飯をべて、夜もしっかり遊び、脳みそが溶けそうな日々でした。

グローバルに影響力のある仕事をしている社長の姿を間近で感じ、
僕の価値観や常識の幅が広がりました。

そして、社長の御一行が日本へ帰国し、再びマルタで一人の生活が戻りました。

マルタでキャッチ

そんなとき、僕のFacebookにメッセージが来ました。

「仕事は見つかりましたか?お店でお話ししましょう」
という内容でした。
マルタの街にある日本食レストランのオーナーからでした。
実は以前そのお店に伺って「働きたいです!」と伝えていて、
就労ビザが必要だからと一度は断ったものの、
心配して僕のFacebookを見つけてメッセージを送っていただきました。

すぐにお店に伺い、
「お店で働いてもらうことはできないけど、
キャッチだったらいいよ」と話をいただき、
その日からキャッチを始めました。

僕はお酒の場でひたすら友達をつくり、その友達にお店に来てもらうことにしました。
(僕は英語が話せないのでお酒を飲んで勢いで友達を作るしかなかったです)
マルタのクラブはどこも無料で入場できて、お酒を飲みながら友達の輪を広げました。

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(クラブなどが立ち並ぶパーチャビルというエリア)
今となればここが僕のアナザースカイです。
僕は立ち並ぶクラブやバーでお酒を死ぬほど飲みながら、
酒とダンスが言葉の壁を超えるのを身を持って体感しました。

そんな時、日本から留学でアイルランドに来ている友人がマルタに遊びに来てくれました。

友人がマルタに遊びに来る

18歳で南米ボリビアに行き、帰国便の日にお金が足りず路上で折り紙を売って空港に辿り着く。
スペインのトマティーナ祭りに参加し、グランドキャニオンで凍えながらテント泊、ニューヨークでは過去1番激しい年越しもした。
そんな彼の名前はたいき

路上バーに遊びに来てくれた時も、路上を盛り上げてくれました。

ちなみに彼が出演しているyoutubeはこちら。
はるきくんのチャンネルもぜひ登録してください。

たいきとマルタで1週間ほど一緒に遊びました。

マルタでの僕らの共通言語は『ENJOY MY LIFE』、

「好きに生きようぜ」「今日を楽しむぞ」という価値観のもと、
めちゃくちゃに遊んで、めちゃくちゃに思い出を作りました。

そんな僕らとマルタの相性は抜群でした。

特にHavanaというクラブは本当に思い出深く、
毎晩のようにHavanaに行きました。

ちょっぴりえっちなお店でぼったくられたのもいい思い出です。

毎日体のエネルギーを使い果たすまで遊びました。

そしていつものようにHavanaに行き、僕とたいきは韓国人の女の子二人組と仲良くなりました。

ナギョンと出会う

ナギョン(僕担当)とジヨン(たいき担当)です。

彼女たちはクラブの中で1番人気でした。

というのもアジア人の女性はヨーロッパのクラブで人気があります。

クラブの猛者達を振り払い、僕たちは彼女達を海に連れ出すことに成功しました。

マルタは地中海に囲まれて、クラブから歩いて3分で海辺に到着しました。

この日は解散してお互いのホテルに帰りました。
たいきはジヨンから「too much」と何度も注意を受けていました。

ちなみにナギョンは日本語がペラペラで、
この後の僕のヨーロッパ生活を語るうえで欠かせない女性です。

僕たちは次の日からナギョンとジヨンに連絡をとり続けました。

彼女達は韓国からオランダに留学をしに来ていて、
学校の休暇を使って3泊4日でマルタに遊びに来ていました。

次の日の夜も彼女達と合流して遊びました。

そして次の日も。

僕とたいきのマルタの思い出は彼女たち抜きでは語れません。

そして彼女達がオランダに帰国するのを見送り、
たいきと僕はマルタでの生活を楽しみました。

そしてたいきも日本へ帰国し、
僕は再び一人になりました。

一人になり、自分の人生について深く考えました。

「俺は自分の人生で何がしたい?」
死生観について本気で考えました。

そこで出た答えが、

「自分の好きなように、生きたいように生きる」でした。

これは自己投資だ、と覚悟を決めて、
ヨーロッパで全財産を使い切ると決めました。
(最終的にオーバーしてキャッシングしました照)

マルタでの生活も1ヶ月を超え、正直マルタのような小さな国に、1ヶ月目的もなく生活することはとても苦痛でした。

そして僕はナギョンのいるオランダへ行くと決めて、
オランダへ向かう飛行機に乗りました。

 

 

オランダ編へ続く。

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